遠藤組とは?
(株)遠藤組は、北海道の地で80年以上、冬に造材を行う事業から始まり現在は建設業を営んでいる会社です。地元にどっぷりと根ざしており、私たちが地元に何が出来るのかを日々考えております。若者、お年寄りに離れず地元に居てもらうべく、平成11年には町内には無かったコンビニも始めました。
自力で物事を行うことを基本としており、与えられることを待つのではなく、必要ならば自分達で作り出します。ですが、容易な方法で答えを求めはしません。難しい・険しい道であろうと、それが正しいとなればそちらをあえて選ぶ。それが、私たちの信念です。
社員の中には、曾祖父から親子4代ずっと弊社で仕事を続けている職員がいます。
会社組織ではありますが、家庭的で、家族主義なのが遠藤組の特徴です。
なぜシーベリー?
公共事業の大幅な減少は避けられない中、建設産業以外の分野への新規事業参入の1つがコンビニへの進出でした。しかし現状はより加速度を増して公共工事削減へ向かって動いてます。そのため常に新規事業への模索を続けておりました。
新規事業として行う以上、本当の意味での新規性の事業はないか。イチゴやトマトなどの栽培では後発組の弊社が追いつくわけがない。野菜や米を作っても農地すらない弊社が農家にかなうわけがない。人がやっていないものならスタートラインは同じはず。苦労はその分多いのも当然のことですが人のしていない物への挑戦が絶対条件でした。
シーベリーとの出会いは、弊社社長が北海道農業研究センターの石井現相先生筆「新しい小果樹ヒッポファエ栽培マニュアル」を知り、平成17年に北海道農業センターの石井先生の研究室へ伺うとちょうどシーベリーの収穫をされており、シーベリーの実を見る事ができたのです。
石井先生から「本州では大規模に栽培を行った会社が数社あったが全て失敗していて、大陸性の気候の北海道が良い」ということを知ります。その後、石井先生の紹介で北方べリー研究所の佐藤興重郎、元中央農業試験場の渡辺久昭両先生と出会い、栽培方法、剪定方法等の指導と協力を得ることができました。また、諸外国ではシーベリーオイル(ヒッポファエ・オイル)が大変貴重であり、化粧品に使用されるなど捨てる所がない果実とされていることを知り、北海道を代表する特産品に出来る可能性が大きいと感じ、失敗は当然覚悟の上、本格的な事業をスタートさせました。
建設業が「農業」や「加工業」をやるのではなく、『シーベリー』だからやる。そんな魅力が、シーベリーにはありました。栽培データーすら確立していない果実でしたが、データーがなければ自分で作る。知名度がなければ知ってもらう、そのために何をすべきか。そこから、シーベリー事業はスタートしました。
事業の始まり
当社の強みである農業者の放棄地や林地を整備し、新たな特産品開発に向け、平成18年度に1ha 1000本、9種類のシーベリーで試験栽培を始めました。
平成19年度に1トンの果実を収穫し、北海道食品加工研究センターの協力のもと、試験的に現在の商品の基盤であるソースの試作を行いました。当初はシーベリーを利用した加工品の開発・生産は、委託によるものを考えていましたが、その成分特性の油脂の多さや臭いにより果汁の搾汁先すら見つからず計画は断念。委託先を探すのではなく、自分で出来ることは自分達で全てを行うことに方向を変えました。平成20年度に小さいながらも加工場を建設して、製品製造を行うことにしました。むかわ町の地域資源としての認定(経済産業省・農林水産省による認定書あり)も国から受けており、将来は苗を増やし地元農家の方へ栽培方法も含めて広めようと目下努力しております。
受賞歴/社会貢献
平成22年度 | 北海道チャレンジ企業 経営革新部門 受賞 |
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平成23年度 | 日本野菜ソムリエ協会主催『調味料選手権2011~新定番調味料を探せ!~』 シーベリーフルーツソース ストーリー部門賞 受賞 |
平成23年 | 原発避難の子供達へ宿泊施設として寮を提供。 平成23年8月3日から、福島の原発非難の子供達が80名、弊社の寮を使い宿泊していました。寮の周りは、弊社会長が丹精込めた芝生が広がっています。会長が石を広い裸足でも遊べる広場にしていたのを含め、福島キッズに開放しました。 1箇所はテントを張り勉強や集合用に開放し、もう1箇所はサッカーが出来る広さがあるので、子供達は素足で遊び回っていました。たまたま、弊社の職員の子供達が夏に遊ぶために会社が用意していた横2m・縦3mのプールがあったので、毎日シーベリーの冷凍庫で大きな氷を作りその中でジュースを冷やすという作業が弊社の社員の仕事になっていました。毎日夜遅くまで外で遊ぶので賑やかでした。子供達が帰ってしまい、少し寂しいです。 |